訣別―大前研一の新・国家戦略論 [単行本] 大前研一リンク


大前研一通信、5月、「全国一律に」から決別するとき、大阪をピカピカに磨けば、日本は変わる!大前研一。なぜいま「維新」なのか,昨年末、大阪ダブル選挙で圧勝した橋本徹大阪市長率いる「大阪維新の会」に熱い視線が注がれている。
国会議員わかる政治への提言  次「理想と現実のギャップ」えがき


自民党が負けない50の理由 (50回選挙をやっても


財政再建と将来の経済活力〜論理が通じる英国、目の前の感情論に左右される日本の違い〜
大前研一ニュースの視点━世の中どうなってんの…?大前さん!! 


災地復興策〜政府は新しい「東北の強み」を内外に示せ!〜大前研一ニュースの視点


大前研一ニュースの視点〜1『迫りくる国債危機〜パフォーマンスではなく法律の次元から国の会計をチェックせよ』日本国債  失われた20年よりもひどい苦境待ち受ける日本  会計検査院国の不適切経理 17000億円2010年11月13日 7:01:272011年10月31日 17:52:02


劇的な景気回復には心理経済学しかない大前研一の日本のカラクリプレジデント 2011年10.31号蓄えのある先進国ではマクロの経済政策よりも消費者や経営者の「心理」が経済を大きく動かす。
2011年10月31日 17:52:17


名瀬市においては、昭和49年以降部制を採用して27年になります。



市町村合併で地域が幸せになるでしょうか?・・・・・・中央にぶらさがったままの自治が継続するだけではないですか       中央集権をやめ、地方主権を確立しなければ、地方が真に豊かになることはできません    ビジョンなき合併は、中央依存を強め、自治体の無駄遣いを助長するだけです



中央集権国家としての日本は衰退の運命にあります・・・・・・地方も中央にぶらさがったままの発想では生きていけません       地方が自ら富を生み出す仕組みを創る為には、国から外交防衛以外の権限を手に入れるべきです

経済の仕組み・民間が稼いで税金を収め政府が使う


明るい・奄美大島の未来に夢を・今こそ屋久島・白神山地に負けずに奄美大島の自然遺産の回復に・市民の皆さんの考えをお書きください


『大前研一ニュースの視点』メルマガ事務局 [OhmaeNews@bbt757.com]

送信日時:       2011422日金曜日 8:09


被災地復興策〜政府は新しい「東北の強み」を内外に示せ! 】〜大前研一ニュースの視点〜 世の中どうなってんの…?大前さん!! 大前研一 『 ニュースの視点 』発行部数173,969部(自社配信+まぐまぐ)


「今週のニュースの視点」は、「被災地復興策」について大前研一が解説します。1】今週の〜大前研一ニュースの視点〜


『被災地復興策〜政府は新しい「東北の強み」を内外に示せ!』〜大前研一ニュースの視点〜被災地復興策〜政府は新しい「東北の強み」を内外に示せ!   被災地復興  住宅建築制限を延長  政府の対応


▼被災地復興の2つのプランとは?

菅政権は東日本大震災の被災地復興をめぐり、無秩序な乱開発を防ぐため、現在2カ月以内となっている住宅などの建築制限期間を最長8ヶ月に延長する方針を固めました。また各地の農地を集約して大規模化を進める一方、壊滅した小さな漁港も拠点ごとに集約するための法案を今国会に提出する方針を固めています。東北地方を新たな「食糧供給基地」と位置づけ、攻めの復興策を目指す考えです。


涙ぐましいくらいに私が提言したアイデアが採用されています。提言した立場として、いくつか補足しておきたいと思います。まず基本的なアイデアは、土地の低い場所には公的な施設や緑地を置き、人は高台に住むという方針にあります。漁民の人たちにも高台から通勤してもらい、漁港を集約するスタイルです。このアイデアの実現にあたって、個々人が「自分の土地だから、好きに建築していいだろう」ということになってしまうと全体設計が崩れてしまいます。それを避けるために政府は、住宅などの建築制限期間を現在の2ヶ月から8ヶ月へ延長する方針なのです。


ここから先、大きく2つの方法が考えられます。1つは政府が土地を買いあげて、明確なプランのもと大々的に開発を行うというものです。


この方法も悪くはないのですが、「土地を買いあげる費用」や「土地を新たに開発する費用」など莫大なコストがかかるのが難点です。もう1つの方法が、オーストラリアで採用されている「フラットプレイン」というコンセプトです。オーストラリアでは、洪水などによって水没した地域は歴史的に把握できているので、該当する土地を販売する際には「洪水で水没する危険性がある」ことを明文化することが義務付けられています。これにより土地の価格は安くなりますが、万一洪水に襲われたとしても「その危険性を承知で購入した」のだから特段補償を迫られることはありません。日本に当てはめて考えれば、「津波プレイン」といったところでしょう。政府は「津波に襲われたら水没する危険性がある土地」として「指定」するだけで良いのです。


現地を見てきた人によると、今回の東北地方の津波被害も驚くほど正確に「被害が及ぶ範囲・地域」の予想は当たっていたとのことです。

であれば、このような地域に「津波プレイン」の考え方を適用して用途制限をかけるのも不可能なことではないでしょう。それでも危険地域内に「住居」を構えたいという人がいれば、「自己責任でやってください」と言えると思います。この方法は政府が「土地を全て買いあげる費用」を負担する必要がないのがメリットです。今回の震災による被害状況を見ると、地震そのものによる被害よりも津波による被害がより大きいのです。


この点に鑑みても「津波プレイン」的な発想は現実的で、かつ資金的にもリーズナブルで良いと私は思っています。

▼復興のためにも、日本政府はコミュニケーションのミスをなくせ


東北地方の復興にあたり、工場や支店などを東北から別の場所へ移すなどした企業を呼び戻すためには、東北で「新しい産業を興す」必要があると考えている人もいると思います。理論的には理解できるのですが、私は現実的には難しいと感じます。

東北地方はこれまでにも「バイオ」「地熱発電」を始め、東北発の新しい産業を興すことを何度かチャレンジしてきましたが、どれも成功したとは言い難いです。東北大学の金属材料研究所などは世界的に見ても最先端の研究をして いて、新しい鉄鋼素材の開発などを行っていますが、それでも実際には産業として実を結ぶには至っていません。なかなか新しい産業が立ち上がらない中で、電子部品の開発など昔ながらの産業に依存する形になっていました。それが今回の震災で拠点を移してしまわれる可能性に直面しているのが現状です。


こうした経緯を見ても「新しい産業を興す」ことよりも、放射能汚染の問題を解決し海岸沿いに豊かにある海産物をいち早く復興させることを優先させるべきだと私は思っています。また、現在外国人が日本から一時退避をしていて、多くの外国人が日本に来ることを恐れている状況にあります。


この点について、アジアの拠点としての日本(東京)の立場が危うくなるのではないかと懸念している人もいるようですが、私はそれほど心配していません。というのは、今回多くの外国人が日本国外に退避してしまったのは「勘違い」によるものであって、現実的に東京がそれほど危険な状況になったためではないからです。勘違いの理由が明確になれば、再び外国人は東京に戻ってくると思います。それよりも問題なのは、外国人に勘違いをさせてしまった日本政府のコミュニケーション能力にあります。


結局、「日本政府は原子炉について事実を公開していないのではないか?」「本当は公開している以上の大きな事故なのにそれを隠蔽しているのではないか?」という疑いを抱かれているというのが、根本的な問題です。外国人や海外からのこうした疑念に対して、日本政府はこの期に及んで福島第1原子力発電所の事故評価をチェルノブイリと同等の「レベル7」に引き上げると発表しました。そして「やはり日本政府は隠していたのか」との評価になったわけです。事故発生当初から私は今回の事故レベルは「レベル6」だと主張してきました。


今でも福島第1原発の事故レベルは「レベル6」が適切だと思います。当初は「レベル4」だと発表していたのに、ここに来て「レベル7」に引き上げたのは、最悪の意思決定だったと私は思います。せっかく復興の道が見えても、政府のコミュニケーションのミスによって世界から誤解を受けてしまっては元も子もありません。これからの復興のためにも、政府には改めて国内外から誤解を招かないような正しい情報開示と情報提供の徹底を図ってもらいたいと強く願っています。この大前研一のメッセージは417日にBBT757chで放映された 大前研一ライブの内容を抜粋・編集し、本メールマガジン向けに再構成しております。

 ▼ 今週の大前の視点はいかがでしたでしょうか。

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いよいよ始まった復興へのプラン作りとその実行。考えるべき点はそれこそ山のようにありますが、 考えるにあたり大切なことの一つは 「流れ」で考え、漏れが無いようにすること。問題解決力では、この「流れで考える」ことを非常に重要視しています。

まずゴール(目標)を決め、それに向かって次に何が必要かなにが起こるのかを「流れ」で考えていくと、漏れや無駄な重複といったものを避けることができます。ただし、この流れで考えることもかなり高いレベルでの論理的な思考力を要求されます。

考えたつもりでもやはり漏れや飛躍があり失敗した経験は、皆さんもお持ちなのではないでしょうか。様々な可能性を論理的に考えて網羅していかなかれば、成功確度の高いプラン作りとその実行には結び付きません。


┃5┃ クリックアンケートにご協力お願いします

今回の記事『被災地復興策〜政府は新しい「東北の強み」を内外に示せ!』

   はいかがでしたか?下記の項目のうち、もっとも当てはまるもののURLをクリックしてください。

 

 a.大変参考になった

  ⇒ http://vil.forcast.jp/c/aofQa36dz6cX2Mag

 

 b.参考になった

  ⇒ http://vil.forcast.jp/c/aofQa36dz6cX2Mah

 c.やや参考になった

  ⇒ http://vil.forcast.jp/c/aofQa36dz6cX2Mai

 d.あまり参考にならなかった

  ⇒ http://vil.forcast.jp/c/aofQa36dz6cX2Maj

 

 ▽前回のクリックアンケート結果発表▽


 前号の記事『風評被害と自粛モード〜「説明下手」な政府がもたらした二次災害』

 アンケート結果は、下記の通りでした。


  大変参考になった ……………… 56.64

  参考になった …………………… 30.34

  やや参考になった ……………… 8.45

  あまり参考にならなかった …… 4.57

 

 ご協力ありがとうございました。この結果は、今後のメルマガ作成の参考にしてまいります。


┃6┃ あとがき:賞味期限と消費期限


 皆さんは食べ物の賞味期限・消費期限って

 どれくらい気にされますか?

 

 モノにもよりますし、また状態にもよると思いますが、私は基本的に

 全くと言っていいほど気にしません。

 

 一時期話題になりましたので、皆さんもご存知かと思いますが、

 賞味期限と消費期限はJAS協会によると下記のように

 定義されているそうです。

 

 『定められた方法により保存した場合において、

 腐敗等品質の劣化に伴い安全性を欠く恐れが無い期限を

 示すものは「消費期限」、期待される全ての品質の保持が

 可能であると認められる期限を示すものは「賞味期限」とします』 ここで私が思ったのは、「一つの商品に両方載せるのはダメなのか?」ということ。

 対象物によりどちらを載せるかは決まっているのかもしれませんが、

 「これまでに食べたらおいしいよ!」という期限と、

 「多少味は落ちるけど、この日までだったら食べてもOK!」

 という期限があると、無駄になる食べ物が減る気がするんですが。

 

 この日までに食べたらおいしいよ、

 と言われるとその日までに食べたくなる気がします。

 我が家の場合は、私が匂いを嗅ぎ、

 少し食べてみてOKだったらそれはOKとしており、

 特にこれまで「大きな」事故は無いので別にどちらでもいいのですが、

 繊細な方もいますしね。

 

 

                                       (編集部へいち) 

―――――――――――――――――――――――――――


 次号:2011428日配信予定

 通常号は毎週金曜日発行(+増刊号)

 

【お詫び】

 先週配信のKON358号にて一部誤解を招く表現がありました。

「放射線量」は「被ばく線量」の間違いでした。

 ここに訂正し、お詫び申し上げます。

 

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     『大前研一ニュースの視点』メルマガ事務局11/4/22 10353


次世代路面電車(LRT)による枚方のまちづくりを推進する会枚方

沖縄に電車を走らる提言書>>

ヨーロッパでもかっては路面電車が車に駆逐された時代があった。が,最近10年間に至って車の公害や都市の渋滞から街を再生させるため,高加速,高減速,低騒音,超低床の新車体(LRT=Light Rail Transit)を開発し,ヨーロッパの各都市での新路面電車の復活・復権がおこなわれている。まさに「路面電車のルネサンス」が始まったのである。

ハイデルベルグのLRT 窓も大 山根政則

停留所は幅広くして車を徐行さす山根政則 

独ロストク市のLRT         池田宏

低床車は車椅子も楽々乗車    池田宏米でも復権が サンディエゴ    中川純典

仏ストラスブルグの広窓最先端車 中川純典

路面電車・万葉線再生の取組に学ぶ!

ユニバーサルデザインの提唱者はノースカロライナ州立大学(米)のロナルド・メイスである。自身も身体に障害をもつ彼は1980年代、それまでのバリアフリーの概念に代わって、「できるだけ多くの人が利用可能であるように製品、建物、空間をデザインすること」をユニバーサルデザインとして定義した。

一口に障害をもつ人といっても、視覚、聴覚、肢体、内部、知的など、さまざまな障害があるし、同じ障害でも程度の差がある。また誰もが、怪我などで一時的に障害をもつこともあるし、言葉のわからない土地に行けば移動制約者となる。

ユニバーサルデザインは、“すべての人が人生のある時点で何らかの障害をもつ”ということを、発想の起点としている点で、それまでのバリアフリーデザインとは大きく異なる。そこには、可愛そうな人のために何かしてあげようという慈善はない。


平成1312月議会西村議員(一般質問)再度、部長制の廃止について(課長会議を(管理者)会議と位置付けより政策的に機能する組織を提案。

9番(西村孝子君)ありがとうございます。来年度の見直しにむけて、非常に期待をいたしておりますので、よろしくお願いしたいと思います。それでは2番目のほうの部長制の廃止についてお伺いいたします。

名瀬市においては、昭和49年以降部制を採用して27年になります。

部門管理において部を単位として部長がこれを統轄管理することでありますが、名瀬市において庁内の現行の部制に対する批判の声もあります。平成86月に都市センターが受託した名瀬市行財政診断調査報告書の提言の中で、庁議システムのあり方をはじめ、行政運営の重要な問題を数多く指摘されています。

中でも本市の部長制をかなり厳しく批判し、部長制の権限強化を提言なされていましたので、平成99月議会でも質問いたしました。当局はこの部長制について都市センターのほうから厳しい御指摘を受けられ、庁議においての運用の面、部長席の削減、部長職の在り方で権限の明確、

強化の措置など講じられておられますが、行政サービスの複雑化、多様化でも対応は部長制がなくても可能だと思います。

課レベルで事務事業の進行と課内の人事管理、部内間の調整など、行政運営の推進は機能するものではないでしょうか。

部制を採用した頃は名瀬市の景気が右肩上がりの時、人口も5万台ではなかったでしょうか。今はその逆であります。

名瀬市長期計画の中にもありますが、名瀬市の10年後の人口は4万を切ると言われております。見直しの時期に来ているのではないでしょうか。

部長の権限の拡大よりも部長制を廃止し、課長会議を管理者会議と位置付け、より正確的に機能する組織機構の再度提案いたしいと思います。

市長の御見解をお伺いいたします。市長(平田隆義君)西村さんの質問に答弁します。

西村さんのご意見のようでございますが、どういう経験を持って部長制が廃止という結論に達したかがちょっと不明ですので、なかなか答弁しにくいようです。私がここ7年間経験しまして、部長制は大変重要な意義のあるシステムだと、このように受け止めております。そして多くの事で部長会で各部の部長の発言がこれからの私の行政執行に対して大きな影響を与えます。

このことは大事なことだと受け止めております。特に私はいつも申し上げております。私は一民間から来たと。民間人ということは一市井の一市民だと。市民の感覚でものを言う。

部長の皆さんは何十年という市の行政に携わって、その実績を積んで今日に来た人たちです。当然に行政の運営についてはプロだという認識を持っております。そのプロと一市井の市民との意見の調整ということは大変重要だと思います。50数名の課長がおりますが、その人たちと一つ一つについて対応するということは、今の市長職ではとてもじゃないが難しいだろうと思っております。

そういう点では助役、部長制を十分にどうして活かせるかということが大事だろうと、このように思っております。

これからも部長の皆さんも精一杯頑張っていただけるものだと期待をしながら、このシステムを維持していきたいと私は思っておりますので、御理解賜りたいと思います。

9番(西村孝子君)名瀬市において部制が27年間きているわけなんですけども、私も今議員になりまして4期なんですけども、以前からのことですのでその以前のことは分からなかったものですから、私は都市センターの受託された診断書を基に過去の名瀬市の庁議システムなど一通り見させてもらいました。

その中でああこういうことがあったんだなということなどもありましたんですけども、まず本庁の庁議において幹部会、調整会議、部長会議の3段階の形式があるということを、役割といいますか、それが明確にされていますけれども、そこで都市センターの指摘によりますと、運営自体の中で大きな問題を指摘されておりました。

平成7年を例に例えてあったもんですから、幹部会が1年間でたった2回しか開催されていないとか、それからどちらも補正及び当初予算案に関する協議が行われていただけであると。また、一方では調整会議などが16回も開催されているというアンバランスといいますか、そういったことも記されております。

それを見たときに名瀬市における庁議のシステムが繁雑だなあと私はそこで、私の感想ですけども、思ったものですから。それと、今の名瀬市の市民サービスの多様化一つにしても、私はその部制がなくても対応できるんじゃないかなあと思ったのと、現在の名瀬市、10年後の名瀬市を見たときに見直していったほうがいいんじゃないかなという思いで私は質問したんですけども、きっかけは都市センターの受諾した診断結果を基に分析したものですから。

市長のお考えといいますか分かりました。いくらか申し上げてもなかなか合わないところがあると思いますので、そういう時期が将来また来るのではないかと思いますので一応問題提起という形をさせてください。

それでは通告の3番目の教育行政について入ります。初めに教職員の自主研修の補修についてお伺いいたします。教員のチームワークの協力体制を整えるためには教員相互の研修は不可欠であります。


王滝村が突きつける直接民主主義の挑戦

20050625日(土)

萬晩報主宰 伴 武澄


長野県南相木村の色平さんから「長野県木曽郡で直接民主主義実現へ」という刺激的なメールをもらった。23日の王滝村の村議会で「議員定数削減」と「村民総会設置」の二つの条例案が提出されたという。


市町村合併で100人を超える議員を抱えるようになった自治体がいくつも出現した。そんな矛盾に真っ向から問題提起した王滝村の人々の勇気に拍手を送りたい。


以前の萬晩報に書いたこともあると思うが、日本のマスコミの限界はこうした小さくもきらりと光るニュースが県境を越えないところにある。


総会設置条例案は、町村議会を置かずに、有権者の『総会』を設けることができるとした地方自治法94条の規定に基づく。信濃毎日新聞によると「条例案は、村民総会は18歳以上の全村民を構成員とし、定例


会を年1回開催、半数以上を定足数とし、報酬は支給しない」。
まず日本の地方自治法にそんな規定があったことに新鮮な驚きがあった。六法全書を取り出して地方自治法を読んでみるとあるある。「町村は議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる」のだ。王滝村が突きつける直接民主主義の挑戦

過去に住民総会を設けた村はあるそうだが、もちろん現在はない。そもそも小さく貧しい村で「生業としての議員」が必要なのか疑問だ。人件費だけの問題ではない。選挙にだってお金がかかる。小さな共同体で行政と議会という二つの機能が不可欠とは思えない。

王滝村は平成の市町村合併で近隣町村と合併できず、村営スキー場関連の多額債務を抱えて財政再建団体への転落も予想される状況なのだそうだ。村議会の今回の提案は、「定数を削減せず、チェック機能も果たしていない」として、住民グループが村議会解散を請求していることに対する危機感の表れでもある。


民主主義における議会はもともと、イングランド王へのチェック機能からスタートした。その後、法律や条令を提案する機能を付加された。議会が本来の機能を果たしていないという住民の不満はなにも日本だけのものではないと思う。

平成十三年十一月二十七日の衆院総務委員会でおもしろいやりとりがあった。社会民主党の重野安正氏が市町村合併に関して直接民主主義と間接民主主義の問題に対して片山虎之助総務大臣に質問しているので参考にしてほしい。


どうやら「住民総会」は明治憲法下で多くあったため、戦後の地方自治体にも残さざるを得なかった制度だったらしい。この総務委員会のやりとりの最後に片山大臣はおもしろいことを言っている。「ITがずっと進みまして、インターネット、オンライン時代になるんですよ。そういうことになるときに、市町村の住民の意思を直接聞いてみよう、そういう制度ができれば、町村総会は形を変えて生まれ変わってくる、私はこう思います」。


戦後、日本は間接民主主義を旨としてきたが、本来、民主主義は直接住民の意思を問うところからスタートした。平成の市町村合併では多くの自治体が「レファレンダム(住民投票)」を行った。これはまさしく住民総会の「変形」いな「原型」なのである。


国会議員  わかる政治への提言  次「理想と現実のギャップ」

まえがき

本書は、社民連代表の私が社民連の政治の主張を語るものではない。もちろん、政治についての私の考え方は随所に登場するが、たとえば「行財政改革」「教育改革」といった、政治の書物に当然登場するテーマは、本書では扱わない。


本書の課題は、私という一人の衆議院議員を材料にし、この人間の毎日の行動などを解剖してみることにより、国会議員の生態を明らかにすることである。


政治家以外の人による国会議員の生態解明は、珍しいことではない。しかし、国会議員が、いわば内側から、反省や自己弁護も含めて議員の実像を明らかにした書物は、あまり見当たらない。外からならば、自由な、しかし勝手気ままな批判ができるだろう。内側にいる者にとっては、これらの批判について、「そう言われても……」と反論したいこともたくさんある。本書はほんねを書いたつもりだ。

議員はみな、国民の代表者としてすばらしい日本を作るために協同して働く責任がある。その意味では「仲間同士」だ。しかしみな、選挙という戦争で食うか食われるかの闘いをしている。その意味では「敵同士」だ。

私も例外ではない。選挙に落ちたら、ただの人。いや失業者だ。そこで、私自身のことをあまりに白日の下にさらし過ぎて、次の選挙で競争相手に足をすくわれても困る。その配慮から、薄いベールをかぶせたところもある。読んですぐわかることだから、正直に告白しておく。

それでも、「よくもここまで……」と思われるはど、最大限明らかにしたつもりだ。

それは、私の選挙に有利不利ということよりも、国民のみなさんに政治と政治家の実態について正しい知識と理解を持っていただくことの方が、ずっと大切だと思うからだ。

現代社会は、政治なしでは成立しえない。どんなに私たちが政治を嫌っても、政治が私たちをつかまえて放さない。

どんなに税金を払うのが嫌でも、納めないわけにいかない。政治がそう決めているのだ。サラリーマンは、給料袋を受け取った時にはすでに税を差し引かれている。「頼んだ覚えはない。税務署へ行って取り戻してきてくれ」と経理課に強談判しても、バカにされるだけ。税金の使い方も政治が決める。もし戦争などということになったら、個人の意向はおかまいなしだ。だから、政治が好きであろうと嫌いであろうと、私たちは政治に関心を持たないわけにいかない。議会制民主主義でもあるし……。

 

ところが現実には、国会でやっていることはまことにわかりにくい。国民の常識が通じない。そこで国民は政治から難れていく。

 

国民のみなさんに愚痴をこぼしても、お説教をしても始まらない。政治家の方が政治を改革して、国民にわかりやすいものにしなければならない。「まず隗より始めよ」だ。本書の中で繰り返し強調したが、憲法四十三条は、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と規定している。憲法が嫌いな人も、理屈としては、国会議員が特定のグループの代表でなく、全国民の代表なのだということに異論はなかろう。

ところが現実には、国会議員があまりにも特定のグループの代表になりすぎている。そして、国会議員の実績というと、その支援グループ(特定の地域であったり業界や組合であったり)のために何をしたか、それも実利的なことを、となる。私も、そうした実績を頭から否定しようとは思わないし、これに取り組むことを躊躇もしない。しかし、国会議員の実績が今日の実利にだけ求められている今の風潮がこのまま続くと、私は日本号失速墜落の日がやがて来ると思う。


世の中みんな持ちつ持たれつで、助け合って社会を作っていることは、小学生でも知っている。しかし私たちは、成長するといつのまにかこれを忘れ、自分ひとりで誰の世話にもならずに生きているかの錯覚に陥る。そして、自分だけがその時その時で豊かに楽に暮らすことができれば、あとは何も言うことなしと思ってしまう。政治も、今日の自分の利益につながれば良いし、つながらなければどうでもよい。

こうして、たとえ政治家が政治を利用して金もうけをしても、その内の一部でも自分のところに回してくれればそれで良い。むしろ他に負けないよう「オラが代議士頑張れ」ということになる。心が貧しいのだ。国は、物の乏しさで亡びることはない。心の貧しさが国を亡ぼす。今の日本の風潮を見ていて、こんなことで明日を支える国民が育っていくのだろうかと、ゾッとすることがある。政治家の行動で、心の貧しさを示す例があまりにも多いからだ。


こんな政治を変えたい。志を高く持って、たとえ今は少数でも、みんなですばらしい明日をめざしたい。「ブリッ子」と言われそうだが、やはり大切なことだと思う。

 

国の没落というと、イギリスを思い出される人がいるかも知れない。かつて「七つの海を支配し、陽が沈むことがない」と言われた大英帝国。国民がみな自分勝手になったから、昔の栄光は影もない……。果たして本当だろうか。

 

炭鉱労働者がストライキ。イギリス経済は麻痺。しかし私は、この労働者には少なくとも、自分たちの行動がイギリスを動かしているという実感があると思う。そして、「いざ鎌倉」という時、披らは、経済を麻痺させるほどのストライキをすることのできる自分たちの社会諸制度を、「命にかえても守りたい」と思うのではないか。

 

ひるがえって、日本人にどこまで、自分たちの社会や制度に対する信頼や信念があるか。愛情があるか。いくら「日の丸」を拝み「君が代」を歌っても、これは生まれてこない。世の中を、自分が作り、自分が動かすという実感に支えられて、愛も信頼も育つ。

 

愛国心は大切。しかしそれは、校長先生が朝礼で唱えるお題目ではない。もっと毎日の生活に基礎をおいた、具体的なものだと思う。家族や友人や、自分の職場や地域や、そして社会や経済の仕組みに対する信念なのだ。

 

政治が今のように、どんなに自民党が悪いことをしても、どんなに国民をいじめても、「自民党政治は不動」というのでは、国民はこの政治制度に愛着を感じるはずがない。

 

国民が、自分たちの願いや希望をぶつけていけば、「政治が変わる」という実感を持つことができてこそ、政治に関心もわき、この社会を正しい大切なものだと信ずる気持も育ってくるのだ

 

そのために私は、政治を変えたいと思う。国民にわかりやすい、国民の手の届く政治。これが政治の体質改善だ。ごく普通の庶民と政治をつなぐ回路を作らなければならない。

 

そして何といっても、自民党以外にもう一つ、「政権を担当しうる政治勢力」を作らなければならない。それが野党の連合だ。

 

防衛費であれだけ意見の違いがあるのに、本当に野党が手を結べるの……と首をかしげる方もいよう。しかし自民党は、もっと大きな意見の違いを包摂している。それにどのみち世界は、軍事費を削る方向しか、将来生き残る道を見出せない。憲法に書いてあることをよろず実現したいという方向で意見が一致すれば、防衛問題の意見の違いは小さい……。

 

国民は賢明だ。一人二人の天才が誤りなく国を運営するより、ずっと正しい道筋を、国民は、自分で試行錯誤を繰り返しながら選択していく。国民の願いが政治に反映すれば、必ずすばらしい明日を作ることができる。

 

心豊かなエピソードに満ちあふれた、滔々たる歴史の大きな流れを、みんなで作ろうではないか。民主主義は、私たち国民が主役なのだ。

 

今私が最も反芻している言葉を最後に掲げる。父が生前好んで色紙に書いた魯迅の言葉だ。

 

もともと地上に道はない みんなが歩けば道になる

昭和60年2月末日

 

岡山市の自宅で、雑草の緑に春を思いながら……理想と現実のギャップ新幹線で岡山から東京までは四時間と十分。定価千円以内の本なら、楽に一冊読み切れる時間だ。目を閉じて考えをまとめるにも適当だし、仮にそのまま眠り込んだとしても、それはそれで、日ごろの睡眠不足を解消するのにもってこいだ。私にとって新幹線の車中は、書斎兼寝室。いや、実際は寝室そのものだ。

 

私の父、江田三郎も、列車の中が書斎だった。書類に目を通すだけでなく、原稿さえも書いた。列車の振動で踊った文字の原稿を、清書もせずそのまま編集者に渡した。

 

私は《党務も必要だろうが、少しは人間、江田三郎が生活を楽しむ時間をとったらいいのに》と何度思ったか知れない。

 

父の死後私自身が政界へとび込む決意をした時、「政治家になっても、政治活動は一日八時間以内に抑えたい」と記者会見で発言したのはその偽らざる気持を表現したものだ。これが「問題発言」と騒がれてしまった。

 

政治家は、常に正常な判断力を備えていなければならない。そのためには、バランスのとれた平衡感覚と正常な体調を、いつも保っている必要がある。政治家の日常生活が異常であっては、正常な判断力を保てるはずがない。一人の市民として、趣味を楽しみ、ときには無為に時を過ごし、また一家団欒のひとときを持つ。それは、人間本来の姿であると同時に、そのような生活を送ることによって、人々が何を考え何を望んでいるかということも、わかってくるのだと思う。

 

しかし、理想と現実のギャップは大きい。「猿は木から落ちても猿だが、政治家は落選するとただの人だ」と言ったのは大野伴睦さん。ただの人よりなお悪い。失業者になってしまう。だからみな、体力と神経をすりへらし、目の色をかえて選挙準備に駆け回っている。まさに「毎日が日曜日」ならぬ 「毎日が選挙運動」で、選挙のための活動は無定量、無制限にある。

 

こうした現実の中で、我一人高潔を保っているわけにはいかない。 江田五月個人の時間は、新幹線の車中のみとなった。選挙活動は無限に広がっていく。それでもこれを、一人の市民としての生活が保てる範囲に留めたいと、自己抑制に努めてはいるのだ。

 

私の体験からすれば、その最も効果的な方法は、短時間でもいいから自分の頭の中から政治を閉め出すことである。絵を描くもよし、スポーツに汗を流すもよし、料理をつくるもよし――。イギリスのヒース首相はオーケストラを指揮し、西ドイツのシュミット首相はピアノの演奏会を開催した。私も時折ピアノを弾いたりする。もちろん、隠し芸の域を出ないが。

 

先日は『江田五月と音楽を語る夕べ』と銘うって、プロの演奏者や声楽家の友人を招き政治抜きの集まりを持った。私自身も余興にピアノを弾いた。『月光の曲』第一楽章のつもりだが、そう聞こえたかどうか……。

私が言った「一日八時間の政治」というのは、一日八時間しか働かないということではない。一人の市民としてあるべき生活を忘れてはいけないということを象徴的に表現したつもりだ。

 

第1章 国会議員の実像−資金と特権前へ/次「金帰火来で田の草取り」

 

一週間の行動国会議員は、なぜこんなに忙しいのか。その原因は、要するにあまりにもやることが多いからである。思いつくまま列記しても一、選挙準備活動 二、国会活動 三、政党活動 四、政治資金づくり 五、政策の勉強 等々が浮かぶ。

 

ほとんどの議員が、四で得た資金を、一、二、三で使っているから、四と一、二、三は車の両輪の関係といってよいだろう。

 

さて私の場合、車の両輪はバランスがとれているかどうか。ある一週間の行動記録をご披露して、説明してみよう。

 

第1章 国会議員の実像−資金と特権 前へ/次「政治資金と選挙資金」

 

金帰火来で田の草とり

 

閣僚や政党幹部、あるいは参議院の比例代表及び旧全国区選出議員を除く与野党議員の大半が、国会開会中は、「金帰火来」。この点ではみな行動のパターンは似たようなものだ。

 

両院で常任委員会が開かれるのが火曜から金曜にかけて、本会議の定例日は衆院が火、木、金、参院が月、水、金だから、議員の大多数は火曜の朝上京して金曜帰郷する。そこで「金帰火来」という言葉ができているのだが、月平均四往復する議員たちが選挙区で何をするか。これが「田の草とり」なのである。

日本はさすがに瑞穂の国だけあって、政界用語にも稲に関する言葉は多い。選挙区を「票田」と呼ぶのはすでに日常語と化している。その「票田」に食い込んできた他陣営を、はびこる雑草にたとえ、雑草をむしるように影響力を排除しようとするのが 「田の草とり」というわけだ。

なんとも選挙民を馬鹿にした言葉ではある。しかし、自分の選挙区の人々との人間関係を大切にし、この人々から官僚的手法とは別の情報、つまり庶民が毎日の生活の中で何を願い何を嘆いているかを知ることは、政治家として大切なことだ。そこには政治家の、官僚では果たせない固有の役割があるのだから。

さて、国会議員は選挙区でどういう活動をしているのだろうか? 「選挙活動に決まってるじゃないか」と答える人がほとんどだろう。では、代表的な選挙活動は? ときけば、「自分の名を宣伝すること」と答えるだろう。たとえば葬儀や結婚式に出席。それが駄目なら花輪や祝電――。

 

ところが、祝電は公職選挙法に違反しないが花輪は違反となる。「でも、国会議員の花輪はほうぼうに出ていますよ。あれは全部公選法違反なのですか」と、みなさんびっくりされるに違いない。

 

だがこれは、違反でもあり、違反でもなし。実にあいまいなのだ。つまり、花輪の代金を議員個人が払えば違反で、議員の後援会など別の団体が出せば違反でないというのだ。

 

公職選挙法では、議員は、自分の選挙区内では、慶弔費や寄付等を支出することは禁止されている。そうしなければ、花輪の大きさや金一封の金額の競争になるからだ。現実には守られていないが、守る努力はしなければならない。

 

私も、時には盛花をお届けすることがある。だから他人のことを批判できないのだが、その対象はあくまでも、あえて違法のとがめを受けても、自分の気持として、何かしないではいられない場合に限っている。故人に 「そんな違法はやめなさい」と叱られるのではないかと心配しながら……。

 

政治と金のつながりは、議員個人とその政治団体の関係、選挙活動と政治活動等、いくつかの要素がからみ合い、ある時は表が出、ある時は裏が出るといった具合で、政治の金はわからないというのが定評になっている。

 

第1章 国会議員の実像−資金と特権 前へ/次「政治資金と選挙資金」

 

 

政治資金と選挙資金 昭和五十八年の衆議院選挙の際は、私の選挙区、岡山一区でさえも「二当一落」という言葉がささやかれた。千葉県など与党同士がしのぎをけずった千葉県のある選挙区では、「五当四落」だったという。選挙に五億円かければ当選、四億なら落選。驚くべき金権選挙だ。

 

だが、公職選挙法で定められる法定選挙費用(最高額)は、はるかに少ない額だ。たとえば五十八年の衆議院選挙の場合、公示の日におけるその選挙区内の選挙人名簿登録者数法定制限額=人数割額(28)×+固定額(1070)その選挙区内の議員定数という方法で計算され、ちなみに私の岡山一区の場合は1447万4000円だった(最高は千葉四区の約2084万円、最低は兵庫五区の約1300万円)。

 

これらの数字と「二当一落」とのはなはだしい落差が、有権者の政治不信を生む一つの原因になっている。保守系候補なら、会議費と郵送費だけで1500万円ぐらいはかかってしまうだろう。そのくらいのことは、その道のプロでなくても容易に想像がつく。

 

ところが、この法定選挙費用は、実は奇妙なことだが守られていることになっている。「何をバカな……」と怒られそうだが、理屈のうえでは本当の話なのである。各陣営ともこの限度内で選挙戦を戦ったことにしようと全力をつくしている。なぜなら、法定選挙費用をオーバーすると、その候補者の当選は無効になるから――。

 

たとえば、法定選挙費用は「選挙運動のための支出」に限られるから、選挙運動外の支出は選挙費用でない。別の言い方をすれば、法定選挙費用の範囲に入るものだけを選挙費用と計算し、その他は選挙費用でないとしてしまうのだ。「ナニ?」と思われる方は、もう一度ユックリ読んで欲しい。限りない支出のうち、法定選挙費用と認められるものだけを選挙費用とし、その他は選挙費用とは別の支出とする。いかにも「口舌の徒」にふさわしい理屈だ。事前の、とりわけ候補者自身ではなくその政治団体が、日常的政治活動として支出した金が、金権選挙の土壌を作る。

 

前項で述べた慶弔費の他、各種会費、広告費、寄付金等、名目は異なるが企業でいうなら交際費に当たる支出が問題だ。これらは、選挙費用とは別に、政治資金規正法による報告の対象となるが、その真偽をチェックする仕組みはどこにもない。政治資金の収支報告書は、形式的につじつまが合っていれば事務的に受理される仕組みになっている。

 

「なんとルーズな!」というお叱りも当然だ。原稿を書いたりして得た、わずかなアルバイト収入を申告し忘れて、給与外所得があるじやないかと税務署に呼び出されたサラリーマンの話などを聞くと、「非課税の特典」を与えられた政治資金の収入源と使途を、もっと具体的かつ詳細に報告するのが、国会議員の義務だと思う。

議員一人当たりの国民の負担

国会議員が国庫から支給を受ける金銭の代表的なものは、「歳費」だ。

 

憲法第四十九条に「両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける」とあり、これを受けて「国会法」と「国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律」が細目を定めている。

 

「歳費」という耳慣れぬ用語が使われているが、支給日は毎月十日なのだから実態は月給だ。帝国議会開設当時が年俸制だったので、その名残が、名称に残っているのだ。

 

金額は国会法第三十五条に「一般職の国家公務員の最高の給料額より少なくない歳費」と定められており、各省の事務次官と同額。昭和五十九年十二月現在、月額938,000円が支給されている。その他期末手当として、三月、六月、十二月の三度、合計4,419,250円が支給される。

 

以上が、国会議員の課税所得のすべてだ。しかし、国会議員が受け取るのはこれだけではない。

 

非課税の「文書通信交通費」が、月額65万円支給される。これは「電話代、郵傾代など国会議員本来の政治活動の実費弁償」という建前である。

 

さらに、国会議員個人に支給されるものではないが、その議員が所属する政党に対して支給される「立法事務費」があって、所属議員一名につき60万円支給される。では政党に所属しない無所属議員は、「立法事務費」を受け取れないのだろうか。ちゃんと受け取る方法がある。「立法事務費」の受け皿となる政治団体を結成しさえすればよい。

また、議員を補佐する秘書に対し、国庫から二名分の給料が支給される。第一秘書は月額335,720円、第二秘書は239,800円の給料で、いずれも国家公務員一般職に準じて、期末手当や通勤、住宅、勤勉手当が支給される。

さらに、議員の引退後のために、国庫から五十パーセントの補助を受ける 「国会議員互助年金制度」もある。

さらに現物供与として、国会議事堂の真裏の議員会館に、二室あわせて三十九・五平方メートルの事務室が無償で割り当てられる。都内一等地にある議員宿舎が、東京周辺居住以外の議員には、格安の家賃で割り当てられる。国鉄及び私鉄の無料パスもある。

そのうえ、憲法第五十条に定められた「不逮捕特権」まである。国会の会期中に議員を逮捕するのには、院の許諾が必要というものである。

このような国会議員の厚遇に対して、「行政改革はまず国会から始めよ」という批判の声が上がっている。国民にとって国会議員とは何だろうか。今の状態からすれば、当然の批判と思う。

 

だがしかし、という点も、実は重要だ。「議員特権」に対する私の弁解は後に述べる。

2/24/2006 12:04:35 AM議員一人当たりの国民の負担  ここまでいれる。

平成1844


財政再建と将来の経済活力〜論理が通じる英国、目の前の感情論に左右される日本の違い】〜大前研一ニュースの視点━ 世の中どうなってんの…?大前さん!! 大前研一『ニュースの視点 』2010/10/29  #335

        発行部数166,546部(自社配信+まぐまぐ)

おはようございます。  ビジネス・ブレークスルー大学 オープンカレッジ問題解決力トレーニングプログラム担当の板倉です。

「今週のニュースの視点」は、世界と日本を比較しながら、財政再建と将来の経済活力について、大前研一が解説します。

INDEX ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1】今週の〜大前研一ニュースの視点〜『財政再建と将来の経済活力〜論理が通じる英国、目の前の感情論に左右される日本の違い』

2】問題解決力トレーニングプログラムより

問題解決力をリアルなケースで解読する!新書籍:大前研一通信特別保存版

「慧眼」〜問題を解決する思考〜

3】クリックアンケートのお願い 【4】あとがきに代えて     

■〜大前研一ニュースの視点〜1

『財政再建と将来の経済活力〜論理が通じる英国、目の前の感情論に左右される日本の違い』

ドイツ経済  10GDP成長率 年3.4  イギリス財政  過去最大の赤字削減計画を発表▼ 東西ドイツの合併は、経済的には最高の合併事例だった21日に独政府が発表した経済予測によると、2010年の実質成長率は年3.4%、11年も年1.8%と潜在成長率を上回る勢いの景気回復が続く見通しが明らかになりました。ドイツ経済の強さが注目されています。欧州ではギリシャを発端として、アイルランドなど周辺諸国にも経済危機が広がりました。そのような中、ドイツがアンカーのポジションを取って踏ん張っているお陰で、今、欧州経済全体を見たときに一時のような壊滅的な状況にはなっていないと私は感じています。

ドイツ経済の強さは、高い技術力とそれを武器とした輸出が順調な点にあります。ドイツが日本の約2倍の輸出額を誇っています。また、現在も続いているユーロ安は「欧州全体には危機」ですが、逆に「ドイツにはチャンス」をもたらしています。「経済が強い国は、危機が逆にチャンスになる」という現象が見られますが、今のドイツ経済はまさに代表的な事例でしょう。ただドイツの輸出先は新興国が多く、その点について将来的な不安を指摘する声もあります。

2010104日−10日号のBloombergBusinessweek誌に「BEST MERGER EVER」という記事が掲載されていました。「企業合併の一番良かった事例は何か?」に対する答えとして、それは「東西ドイツの合併」だったと解説しています。

20年前の「東西ドイツの合併」は実に見事な合併の事例だとBusinessweek誌という経済誌が特集している点が非常に面白いと感じます。

特集の中では、この20年間の奇跡的な合併劇について様々な指標が示されていました。総じて、多額の資金を投下したけれど、それを上回り十分に利益が出た合併であり、それゆえ今ドイツは世界第4位の経済大国になり、欧州で最も好調な経済を維持していると賞賛しています。

面白い指標だと感じたのは、トルコやイタリアから流入してくる労働者が増えており、これらの国との関係性が強化されていて、結果として経済的に大きくプラスに働いているという点です。また、旧西ドイツ側には非常に広い地域で雇用機会が生まれているというのもドイツ経済の好調さを物語っている特徴的な指標だと感じました。

政治的に見ればドイツの合併が成功だったのかどうか、私としては疑問に感じる点もあります。しかし経済的にはドイツの合併が大成功だったというのは間違いないでしょう。

▼ 英国の大規模な削減計画の行方は?

オズボーン英財務相は過去最大規模となる歳出削減計画の詳細を発表しました。公務員50万人を削減するほか、「持続可能で最大限の」歳入を確保するため銀行への課税を導入する方針などが盛り込まれたものとなっています。

「消費税の引き上げ」「公務員50万人削減」など、英国キャメロン政権の財政建て直しにかける意気込みには、相当なものを感じます。一方、日本はこの期に及んで未だに「無駄予算」を増やす議論をしています。民主党には「本気で」財政赤字を削減しようという意志がまるで感じられません。

日本は、対GDP比債務残高で世界ワースト1位に君臨しています。それにも関わらず、未だに肥満体質が抜けきらない政府にも呆れるばかりですが、それを批判する声が上がらないことにも驚いてしまいます。

財政赤字を20兆円削減しスリムな体質改善を図る英国と、肥満体質のままの日本。この態度の違いは5年後、10年後になってどのような形で現れてくるのか注目していきたいと思います。

これだけ大規模な削減計画が出ても、英国民は反対しないのか?というと、当然のことながら不安を感じているし、反対の態度も示しています。ただし、英国というのは非常に「論理が通る」という側面が強い国だと私は感じています。 BBCの放送などを見ていると、日本などに比べてバランスの良い報道内容になっていると思います。

もちろん、削減計画の結果として「失う側の悲しみを伝える」報道もありますが、それだけをクローズアップしていません。ゆえに全体としては「政府不信」までの報道にはなっていないのです。また、「全ての責任は前政権にある」「労働党政権が悪かった」というコンセプトがあり、早めに手を打ったのが功を奏している側面もあるでしょう。

一方フランスでは削減計画の一環として、現行の60歳定年制を廃止し、年金の支給開始年齢を62歳に引き上げることなどを柱とする制度改革法案を発表した途端、大規模なデモとストライキが起こり、大変な事態になっています。英国の場合、現段階ではフランスのような事態には至っておらず、「論理で収まりつつある」という状況です。ただ、これから本当に50万人の公務員が削減されたときには、どういうことが起こるのかは分かりません。英国がどのような局面を迎えていくのか、注目していきたいと思います。

▼ 今週の大前の視点はいかがでしたでしょうか。

2年前に起こったリーマンショック以降、先進国を中心に経済の低迷が続いていますが、5年後10年後を考えると、少し差が出始めたとのではないかと大前は考えています。残念ながら日本は未だに先の見えない状況にあると考えられていますが、その原因として大前が指摘しているのが、政府が今の日本の状態を正しく認識していないことです。これは言うまでもないことですが、何が起こっているのか、いったい自分たちがどうなっているのかを正しく認識できなければ、正しい対応ができるわけはありません。

ただしこれは「言うは易く行うは難し」の典型。

よく構成されたトレーニングを受けていないと、いざ自分の事になったときに、思い込みや、漏れのあるデータ、実は破たんしている論理構成に気付かない・・・
2010年10月29日 18:03:07


■〜大前研一ニュースの視点〜1『迫りくる国債危機〜パフォーマンスではなく法律の次元から国の会計をチェックせよ』日本国債  失われた20年よりもひどい苦境待ち受ける日本  会計検査院国の不適切経理 17000億円

 

▼ フィナンシャル・タイムズも、ようやく気づいた日本経済の危険度4日付の英フィナンシャル・タイムズ紙は日本国債への投資について、潜在的なリスクが高まっていると指摘しました。

これは年金基金や銀行などの国債運用に変化が出始めていることや、2015年までに国内の民間貯蓄が不足し財政赤字を埋められなくなるとの見方を紹介したものです。利回りが急上昇した場合、「失われた20年がさらにひどい事態に発展する」と警告しています。

失われた20年よりもさらにひどい事態に発展するとは、フィナンシャル・タイムズもよくぞ言ったものだと思います。私はこの問題を10年以上前から指摘していますから、このフィナンシャル・タイムズの姿勢は大歓迎です。敢えて言えば、フィナンシャル・タイムズがもう少し早く気づいてくれていたら、今のような事態は避けられたかもしれないと残念に思います。今回のフィナンシャル・タイムズの記事では、金融機関のアナリストの見解なども織り交ぜながら、相当細かい点まで言及しています。

 

日本の家計貯蓄率はリーマン・ショック以降、一層下落を続け、ついに消費大国の米国を下回る水準になってしまいました(2009年ベースで日本2.3%・米国4.3%)。さすがに2%台の貯蓄率では今の日本政府の無駄遣いをファイナンスすることは不可能でしょう。

そうなってくると、進む道は2つです。1つは「外国から借りる」という道です。この場合、利回りを高く設定する必要がありますが、それだけで日本国債はひっくり返ってしまうでしょう。

もう1つは、「誰も日本国債を買わない」という道です。国債を引き受ける人がいなくなってしまえば、無駄遣いを続けてきた日本の財政は、間違いなく立ち行かない状況になってしまいます。

私は10年以上も前からこのような予測をして警鐘を鳴らしてきました。特別に難しいことではなく、論理的に考えれば当たり前の帰結です。それにも関わらず、日本政府もマスコミも未だにこの事態を理解していないことが大きな問題だと強く感じます。

 

▼ 政治家と会計検査院が一体化して実現できること

会計検査院は国の2009年度の報告書をまとめ、菅首相に提出しました。それによると、経理処理が不適切と指摘したのは986件、金額ベースではおよそ17000億円と過去最高を更新しました。

会計検査院が指摘した省庁別不適切経理の額などを見ても、今回の会計検査院による作業は実に的確で「プロの仕事」だと感じます。

※ 「会計検査院が指摘した省庁別不適切経理の額」(チャートを見る)

⇒ http://vil.forcast.jp/c/anzMa2eNfEgXmzab

 

国土交通省については、国鉄の処理の結果、溜め込んでいた約12000億円を国庫に納めるべきと指摘しています。次いで、金融庁、厚生労働相、農林水産省なども1000億円規模の不適切経理について指摘されています。ぜひ、ここで判明した資金を国債の償還に充ててもらいたいところです。このような厳しく的確な指摘を、蓮舫行政刷新相にも見習ってもらいたいと私は思います。 おそらく蓮舫行政刷新相が主張している数千億円規模の予算削減も、数年後に実施状況を見れば、数十億円しか削減されていないという結果になるでしょう。強制力もないですし、結局のところ、選挙パフォーマンスとしての意味合いが強いと私は思います。

そんな選挙目当ての事業仕分けはやめて、例えば、政治家と会計検査院が一緒に取り組むという方向性を検討してほしいと思います。

会計検査院だけに任せるのも私は賛成しません。というのは、会計検査院は役人の立場として法律上適切に処理されているかどうかは判断できますが、「法律そのもの」については手を出せないからです。

そもそも必要性がないと感じつつも、法律で定められているために仕方なく実行されていることがあります。これについて、法律そのものを見て必要性があるのか、仕分けするべきかどうかを判断するのは「立法」の立場ですから、政治家が担当しなくてはいけません。逆に言えば、政治家はこの点に役割を絞って、「法律をこのように変えるべきだ」という主張をしてくれる方がよほど分かりやすいと思います。

今、枝野幹事長代理や蓮舫行政刷新相が実行している事業仕分けは、私に言わせれば「財務省の手のひらの上で踊っている」に過ぎません。シナリオを描いているのは財務省であり、彼らの思惑が事業仕分けの対象にもかなり反映されていると私は感じます。財務省のシナリオ通りなら心配ないと思う人もいるかも知れません。

しかし、日本という国にこれだけの借金を作ってきた責任の一端は財務省にもあります。盲目的に財務省の言いなりになるべきではないと私は思います。政治家が本当に予算付けが必要なものを峻別することが重要です。

この大前研一のメッセージは117日にBBT757chで放映された大前研一ライブの内容を抜粋・編集し、本メールマガジン向けに再構成しております。

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▼ 今週の大前の視点はいかがでしたでしょうか。仕事において求められるものは様々ありますが、  根本を言えばまずは成果です。注目を集める事業仕分けも現在第3弾が行われていますが、この成果を出すという視点から「事業仕分け」を見直すと、その取り組みの方法に改善すべき点があるのではないかと大前は指摘しています。

今行われている仕事の目的、出したい成果はなんであるか?この事を常に頭の片隅おき、度あるごとに確認をしながら進めて行くことができれば、個々の役割やすべきこと、出来ることまでもが、 自ずと見えてくるはずです。仕事に限らず、ありたい姿(目的、成果)を常に意識することは、それなくしては成功がおぼつか無いほど重要ですが、こういった意識を身に付けることは非常に難しいことです。

問題解決力トレーニングプログラムでは、いかに「意識」まで心の奥底に根付かせるかまで考えたトレーニングを提供しています。

問題解決力トレーニングプログラム

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 問題解決力トレーニングプログラムより

┃2┃ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

┗━┛ 問題解決必須スキルコースガイダンス 東京+仙台

 

  1120日(土)14:001600@秋葉原 (残席わずかです)

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ここのところ企業の業績について回復傾向であるといったお話しを伺う機会が増えてきました。

 

日銀の景気認識とは少しズレていることになりますが、 それでも良い話を聞けるのは嬉しいことです。 それにつれて増えてきているのが当プログラムへのお問い合わせ。 経済の先細りや、企業の海外進出など取り巻く環境は厳しいですが、 ピンチをチャンスに、そして訪れるであろうチャンスを逃さないための努力を みなさんお考えになっているようです。そこでBBTでは問題解決必須スキルコースのガイダンスを、東京および仙台でも開催いたします。

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 ガイダンスでは

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 前号の記事『インド、ベトナム

    〜有望市場での厳しい現実を直視し、知恵を絞って市場開拓せよ』

 

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  参考になった ………………… 39.96

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  あまり参考にならなかった ……6.60

 

 ご協力ありがとうございました。

 この結果は、今後のメルマガ作成の参考にしてまいります。

 

 

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 次号:2010年11月19日 配信予定

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11:19 2010/11/12 


 自民党が負けない50の理由 (50回選挙をやっても)

目    次

■著者からの宣伝文

 

1955年の保守合同による結党以来、自民党は半世紀に渡って、この国の政治を牛耳ってきた。それが、日本の政治の現実である。55年体制の片割れであった社会党・社民党の崩壊により、たしかに55年体制自体は終わりを告げたが、どっこい自民党の方は健在である。そう、自民党体制はずっと続いている。そして、この国の政治の実態を知れば知るほど、自民党時代に終わりが来ることはないのではないかという気がしてくる。

もちろんこれまでにも、今回の参院選のように自民党が選挙に負けたことはいくらもあるし、表面的とは言え、政権から滑り落ちたことさえある。しかし、この国の政治の根幹に目を向けてみると、自民党体制は揺らぐどころか、むしろ強化されてきているようにしか見えない。一見、負けたように見えても、実は、負けてはいない。ダメージをぐっと受け止めて耐えた後は、頃合いを見計らって、倍にして返す。このくり返しで、ライバルはズタボロにされてしまう。日本新党然り、社民党然り。つぎは民主党なのか。

嗚呼、自民党、お前一人がどうしてそんなに強いのか?

目次

1◆自民党の桃太郎政治

2◆桃太郎の元服

3◆いよいよ鬼退治へ

4◆そして繰り返された桃太郎政治

5◆ぬえと言われる自民党

6◆ぬえが生まれた背景

7◆自民党のぬえ的強さ

8◆ぬえ合戦に勝つ秘訣

9◆巧妙な利害調整の技術

10◆利権エンジンと不沈空母

11◆利権一筋の強み

12◆利権衆

13◆様々な利権組の複合構造

14◆永田城に集まる利権衆

15◆団体型の利権衆

16◆利権構造に組み込まれた選挙区

17◆現代の藩経営

18◆藩経営の日常

19◆ザ・しがらみ

20◆疑似社会主義

21◆護送船団

22◆アメとムチ

23◆依存構造の完成

24◆農民の取り込み

25◆農民が依存せざるを得ない事情

26◆結局はエサにされる農民

27◆農民化するサラリーマン

28◆御用組合

29◆労働組合運動の深層

30◆新興宗教

31◆人の集め方、使い方

32◆丈夫な蜘蛛の糸

33◆蜘蛛の糸の登り方

34◆登糸力

35◆蜘蛛の糸のさらなる効用

36◆今度は粘菌だ

37◆ダメージ耐性と回復力

38◆自民党の負け上手

39◆スキャンダルに強い自民党

40◆裏切りに強い体質

41◆飲み込みズム

42◆大衆向け心理操作の鍵

43◆心理操作の下地作り

44◆間接的心理操作の手法

45◆中程度の間接的心理操作

46◆イラク人質事件報道

47◆高度な間接的心理操作

48◆選挙制度のトリック

49◆選挙のプロ達の技

50◆半世紀を支えた無投票層

 

1/29/2006 8:25:14 AM

教科書が教えられない政治学 現代史スペシャル   
目からウロコの政治講義シリーズ土屋 彰久 ()

図解でわかる日本の政治図解でわかるシリーズ 現代用語検定協会 (), 土屋 和恵

教科書が教えられない政治学――政治でわかる日本のカラクリ図解でわかるシリーズ 土屋 彰久 ()

永田町インサイド あなたの知らない政治の世界 日本経済新聞政治部 (編集)

あなたの史観を鍛えるこの一冊

世の中、歴史認識を巡る争いで花盛りですが、あなたの歴史認識は、教科書レベル+αで終わっていませんか?歴史を知る上で、教科書は入り口でしかありません。しかし多くに人にとって、卒業証書をもらったら、歴史の勉強はそれで終わりで、教科書が出口になってしまっているのが現実です。多くの人にとって、教科書がほんの入り口に過ぎないならば、今、世間を騒がせているような「歴史認識問題」や、「歴史教科書問題」は起こっていないでしょう。

教科書に教えられたレベルで歴史を語る限り、それはあなたの口のように見えて、あなたの口ではなく、その言葉を考えるのも、あなたの頭のつもりでも、あなたの頭ではなく、単に文部省の決めたことを繰り返しているに過ぎません。歴史は、きれい事ではありません。ただ、汚い事ばかりというわけでもありません。有り体に言えば、数多の愚行、蛮行を繰り返しながらも、たまの英断や幸運のおかげで、辛うじて崖っぷちで踏みとどまりながら、なんとか人類がここまでやってきた千鳥足の足跡が歴史ということになりましょう。人類全体がそうなのですから、どこの国の歴史だって似たり寄ったり、この地球上に「栄光の歴史」などというものは、存在しません。むしろ、どの国の歴史であれ、多かれ少なかれ、不幸や愚行に彩られた「恥辱の歴史」です。それでもなんとかやって来れたのは、どの時代の人々も、そんな「恥辱の歴史」から教訓を得て、時々の「歴史的決断」にそれなりに生かしてきたからです。過去の恥辱を恥辱として正しく認識し、教訓とすることこそが、未来の栄光への第一歩と言えましょう。逆に、ありもしない栄光を過去の歴史に力尽くで見出そうとすれば〓、恥辱にまみれた未来が待っていることでしょう。そのようなわけで、現代史を彩る恥ずかしい話の数々をこの本にまとめてみた次第です。 (著者)

 

カバーの折り返し歴史がここまでわかると、政治が10倍面白くなる。[ロシア革命][大恐慌」から[キューバ危機][石油ショック][同時多発テロ]まで、歴史の常識や著名人を片っ端から敵に回して、教科書的な理解を切り捨てる!

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 目次

■アメリカ建国 *ここに始まる、侵略国家の歴史   

■フランス革命 *パリ祭も、ラ・マルセイエーズもこれが起源  

■マルクス主義 *第二次空想的社会主義の始祖 

■植民地分割時代 *弱肉強食は海を、山を、そして砂漠を越えて 

■日本の大陸進出 *島を得て、半島を得て大陸へ

1900-1909      

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学校の世界史の授業はただただいろいろ覚えろって言われて、やる気がでなかったので成績も最悪でした。しかも現代史は駆け足で過ぎたので、記憶もあいまい。今になってニュースの背景が分からないことがあって、ちょっとまずいかなと思っていたところでした。

これは、トピックごとに、歴史の教訓を今にどう生かすかという視点で書かれているので、最後まで飽きずに読むことができました。たとえ話はなんか独特で笑えますが、大事なことをごまかさないで書かれています。建前にとらわれていないので、読んでいてわざとらしい感じもしませんでした(無理矢理こじつければ、経済学者の金子勝さんが、政治学者だったらこんな感じなのかな?)。

「黒人差別撤廃」という項目の終わりには、「逆説であれ、戦争という『力の論理』によってしか、差別という『暴力の構造』を克服できないとしたならば、人類の未来はあまりに暗い。ガンジーに始まり、そしてキング牧師が再現した非暴力抵抗運動の成功は、暴力の構造を根本の論理から否定して、それを可能であることを示してくれた。彼らの足跡は、暗く長き道を照らす希望の光と言ってもよいだろう。ちっぽけな利益のために、たにんい犠牲を強いる必要はない。それが当たり前の世の中になるなら、そしてそれが言葉による説得で可能であるなら、その道の先には、人類の終わりよりも前に、差別の終わりが待っていると言えよう。」と書いてあって、じーんとしました。

 読み終わって、今、やっぱり未来を諦めたくないから、騙されないように、思いこまされないように、歴史の教訓と合わせて知識も広げていこう、という気分です。

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読んでみれば、歴史を気持ちよく都合良く解釈しようとしたり、他人にとっての都合の良い解釈を信じ込まされたままでは、結局のところ未来はないということ、その未来を作っていくのも今を生きる自分たちなのだ、ということに改めて思いが至る。

 また、随所に折り込まれたコラムとの相乗効果で、学校で学んだ建前の歴史では、なかなか説明されない構造も浮かび上がらせている。歴史が好きだ、得意だと思っている人も、苦手意識を持っている人も、きっとそれなりの発見があるはず。

 ところで、本書の構成上やむを得ないのだろうが、前著『自民党が負けない50の理由』と比べて、下ネタ系おやじギャグの出現率はかなり少ない。それでも突飛に思えるような文脈でわざわざ入れているのは、何かそういうことを書かないといられない性分だからか。

 それはともかく、政治コラムを書かせたら面白いだろうに、一般紙・誌での連載がないのはなぜだろう。著者には、ぜひ、この持ち味とスタンスを保ったまま、適度に中ブレイク(大ブレイクする土台があるならちょっとは違う世の中になってそうだし、何かの間違いで大ブレイクしてしまうとかえって真意が伝わらなくなりそう)してほしいものだ。

土屋 彰久 ()ページトップへ : 教科書が教えられない政治学 現代史スペシャル 

平成18129

自民党が負けない50の理由 (50回選挙をやっても)

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2006年5月20日 15:59:31

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日本の清流 田辺川のダム建設反対を応援しましょう

 

劇的な景気回復には心理経済学しかない大前研一の日本のカラクリプレジデント 2011年10.31号蓄えのある先進国ではマクロの経済政策よりも消費者や経営者の「心理」が経済を大きく動かす。

 

小川 剛=構成 加藤雅昭=撮影 PANA=写真

大前研一 アメリカ こころ 大前研一の日本のカラクリ 経済・金融

 

日米両国が陥った「ケインズ妄信」の失策

 

政権交代からわずか2年で3人目の野田佳彦首相が誕生した。今はまだ無色透明に近い状態なので論評は避けるが、国家財政の危機的状況を鑑みれば、財政規律派の野田首相は現実的には唯一最良の選択肢だったといえる

 

しかしながら、震災復興と原発事故の収束という重い課題を抱えた新政権の経済運営が相当厳しいものになることは想像に難くない。野田首相に心してほしいのは、バラマキと借金を繰り返す従来の経済政策では日本の経済社会に光が差し込むことは決してない、ということである。

 

日本が「失われた20年」から得なければならない最大の教訓は、ケインズ経済学以降のマクロ経済理論はもはや通用しないということだ。日本政府はバブル崩壊後の20年で300兆円もの財政投融資という世界史上例のない財政出動(公共投資)を行い、ゼロ金利政策と量的緩和政策を続けてきたが、まったく効果がなかった。

 

財投は景気のカンフル剤というより麻薬のようなもので、公共投資をしているうちは何とか景気は持っているが、やめると禁断症状が出てくるという悪循環。またゼロ金利や量的緩和で市場に資金を供給しても、金融危機の後では銀行は自らの生き残りを優先するので、リスクを取ってまで貸し出さない。貸し渋りや貸し剥がしが横行し、経営が苦しい中小企業や個人には資金が回らない状況が生まれた。

 

これは日本だけに見られる特異な現象ではない。今、アメリカは日本とほとんど同じパターンの陥穽に足をとられている。リーマンショック以降、「オバマ・ニューディール」ともいうべきバラマキ総合経済対策を講じてきたが、まったく効果なし。雇用にもつながらず10%近い失業率が続いている。

 

また日本同様、アメリカも金融危機後にメガバンクは実質的に3つに集約された。アメリカは2008年から事実上のゼロ金利政策を取っているから、調達金利は下がっているはずだが、銀行はやはり自らの生き残り、自己資本の充実を優先してクレジットを絞るようになった。おかげでアメリカはクレジット社会から貯蓄社会へと急速に変化し、今やアメリカの貯蓄性向(可処分所得における貯蓄率)は日本を上回るほどだ。金利引き下げやマネーサプライの増加による景気刺激効果は企業、個人ともにほとんど見られない。

 

 

9月21日、就任間もない野田首相は米オバマ大統領と首脳会談を行った。(PANA=写真)日本もアメリカもまったく同じ動きを示している。それが何を意味しているかといえば、20世紀を支配していた経済制御システムが終焉を迎えたということだ。

 

公共投資で有効需要が創出されると、それに対応して雇用が発生し、労働者に賃金が支払われ、その賃金が消費を押し上げる。金利を下げると金を借りやすくなるから、設備投資や個人消費などの需要が喚起される――といったケインズ経済学の方程式がことごとく当てはまらなくなった。つまり経済の根本的な原則が変わってしまったのである。

 

なぜ経済原則が変わったのか。一つの理由は、私が1980年代後半に提唱したボーダレス経済の出現である。

 

ケインズ経済学は閉鎖経済における「質量保存の法則」を前提に、貨幣と金利と雇用と消費の関係を説いている。しかし各国経済が複雑に相互依存しているボーダレス経済下では、ニューディール政策でいくら国内に有効需要を創出しても、資金を供給しても、効かない。国境を越えて人、カネ、モノ(企業)、情報が移動してしまうからである。企業はいとも簡単に国境を飛び越えて、需要のある場所に投資し、需要のあるところに雇用をつくり出す。さらには、つくった製品を国内に輸出するから、逆に国内雇用が圧迫されてしまうことになる。

 

もう一つ、低金利や量的緩和などの金融政策が機能しない理由は、産業革命以降の「労働者=消費者」という図式が崩れてきたからだ。日本でもリタイアした世代が個人消費のかなりの部分を引っ張っている。

 

アメリカでもサブプライム問題でひっくり返ったのは中流以下の低所得者層で、中堅企業の部課長クラスから上の層はほとんど困っていない。アッパー層は3つ持っている家の一つを売ればいい、という感じなのだ。

 

資産リッチは金利を下げれば収入が減るし、資金供給は自分の資産再配分でつくり出せる。財務状況に余裕のある企業や個人は金利をゼロにしたら余計に身構えてしまう。余計なお金は借りずに、自分の蓄えの範囲でやっていこうとする。

 

この「身構える」というのが、新しい経済原理を理解するキーワードとなる。オバマプランのおかげで将来の増税間違いなしと言われる状況で、国債発行の上限を突破しそうになって国家がデフォルト間際にまで追い込まれ、アメリカ人は生まれて初めて米国債の格下げまで経験した。するとお金に困っていない人たちでも「何かヤバそうだ」と身構えて、お金を使わなくなる。予定していたヨーロッパ旅行をキャンセルするとか、冬場に3回行っていたスキー旅行を2回にするとか、皆がちょっとずつ削る。個人消費がGDPの70%近い先進国経済ではこの「身構える」心理が経済実勢に多大な影響を与えるのだ。

 

プレジデントロイターの最新記事をチェック蓄えのある先進国ではマクロの経済政策よりも消費者や経営者の「心理」が経済を大きく動かす。

 

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小金持ちが気前よく金を使うようにさせる

 

蓄えのある先進国ではマクロの経済政策よりも消費者や経営者の「心理」が経済を大きく動かす。それが21世紀の経済の新しい原理として私が提起してきた「心理経済学」なのである。

 

1500兆円という日本の個人金融資産は、超低金利でも高利回りの運用に回らず、消費に使われて市場に流れ出すこともなく、ただひたすらに銀行預金や郵便貯金などで眠らされてきた。これは純粋に「心理経済学」の問題で、「失われた20年」の底流で日本人の不安心理が膨らみ続けてきたからだ。国民の消費マインドが凍てついているから、金利を下げても、定額給付金や子ども手当のようなバラマキをやっても、経済波及効果はほとんどないのだ。

 

政府は20世紀的な財投と金利を重視した経済政策と決別して、心理経済学に切り替えなければいけない。国民心理を温めることを第一に政策を考えるべきだし、当然、一国のリーダーが暗い顔をしていては話にならない。国民の財布の紐は固くなるばかりである。

 

心理経済学の観点から正しいリーダーシップを発揮した好例は、アメリカのクリントン元大統領だ。持ち前の明るいキャラクターで、インフレ退治を理由に金利を上げた。20世紀の経済学の教科書によれば、利上げは景気を抑制する方向で作用するはずだが、結果は逆。世界的な低金利時代にアメリカだけ金利を高くしたから、世界中から資金が流れ込んできて、アメリカ経済は空前の活況を呈することになった。一時的に財政黒字を記録したほどである。

 

日本やアメリカのように資産リッチな成熟国においては、中流以上の資産を持っている層の心理をリラックスさせることが非常に重要だ。まず資産を持っている小金持ちが、「人生をエンジョイしよう」「家を建て替えよう」「別荘を買おう」「車を買い替えよう」「旅行に出かけよう」という気持ちになって消費を先導しなければ、経済はプラスの方向に進まない。

 

資産がある人にとっては、金利は高いほうがいい。資産が富を生むからだ。しかし政府が暗い顔をして金利を上げたら、いくら富が増えても身構えて貯蓄に回されてしまう。クリントン元大統領のような明るさが大事なのだ。

 

 

かつて30兆円産業といわれた一大娯楽・パチンコも、最近はファン離れが。(PANA=写真)この20年の日本人の心理的な冷え込みを如実に示しているのが、娯楽産業の数字である。かつては30兆円産業といわれたパチンコが今や20兆円を切り、ピーク時には4兆円あったJRA(日本中央競馬会)の売り上げは2兆円台に落ちている。

 

 

パチンコや競馬から離れていったファンを少しでも取り戻すにはどうしたらいいか。私だったらパチンコ屋や競馬場というロケーションに関係なく、スマートフォン経由でパチンコや公営ギャンブルが楽しめるようにする。すべてがスマホに吸収される世の中、公営ギャンブルもスマホに開放するのだ。

 

将来に借金してまでバラマキ政策をしても、国民の将来不安が募れば何の意味もない。頭のいい政府であれば、お金を使わずとも創意工夫次第で国民心理を動かせる。日本のように規制だらけの国では規制撤廃が一番手っ取り早い。

 

たとえば今、全国的に空き家が増えていて、多い県では空き家率が15%以上ある。これを自治体が整備して、バケーション用の別荘のように貸し出せる管理運用会社をつくる。風光明媚な場所にある物件などは大いに流行るだろう。ヨーロッパやアメリカで冬季にはサンベルト(米南部の温暖な地帯)に民族の大移動が起こる。日本でも冬の間には雪国から南国に数カ月単位で人が動くようになるだろう。

 

このように、眠っている資産を刺激するだけで経済は活性化できるのだ。そうした小さな(しかし楽しい)アイデアをたくさん積み重ねて国民心理を盛り上げていかなければ、「失われた20年」から脱出することはできない。

 

※すべて雑誌掲載当時

15:38 2011/10/31



市町村合併で地域が幸せになるでしょうか?・・・・・・中央にぶらさがったままの自治が継続するだけではないですか       中央集権をやめ、地方主権を確立しなければ、地方が真に豊かになることはできません    ビジョンなき合併は、中央依存を強め、自治体の無駄遣いを助長するだけです

中央集権国家としての日本は衰退の運命にあります・・・・・・地方も中央にぶらさがったままの発想では生きていけません       地方が自ら富を生み出す仕組みを創る為には、国から外交防衛以外の権限を手に入れるべきです


市町村合併で地域が幸せになるでしょうか?・・・・・・中央にぶらさがったままの自治が継続するだけではないですか       中央集権をやめ、地方主権を確立しなければ、地方が真に豊かになることはできません    ビジョンなき合併は、中央依存を強め、自治体の無駄遣いを助長するだけです


中央集権国家としての日本は衰退の運命にあります・・・・・・地方も中央にぶらさがったままの発想では生きていけません       地方が自ら富を生み出す仕組みを創る為には、国から外交防衛以外の権限を手に入れるべきです


人民が情報をもたず、   情報を入手する手段を持たないような、人民の政府というのは、 喜劇の序章にすぎない。知識の持つ者が無知な者を永久に支配する。  自らの支配者であらんとする人民は、 知識が与えるる権力で持って自らを武装しなければならない。 アメリカ憲法の起草者の一人、ジェームズ・マジソン


日本の清流 田辺川のダム建設反対を応援しましょう


〈講演要旨〉 これからどうなる日本の政治と経済  当事者能力を失った自民党執行部


豊かな社会 日本の政治を変えられる・読んでみてください


市町村合併で地域が幸せになるでしょうか?・・・・・・中央にぶらさがったままの自治が継続するだけではないですか       中央集権をやめ、地方主権を確立しなければ、地方が真に豊かになることはできません    ビジョンなき合併は、中央依存を強め、自治体の無駄遣いを助長するだけです


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官僚支配をやめさせ・政治決断で行うのが常識


明るい・奄美大島の未来に夢を・今こそ屋久島・白神山地に負けずに奄美大島の自然遺産の回復に・市民の皆さんの考えをお書きください


市町村合併で地域が幸せになるでしょうか?・・・・・・中央にぶらさがったままの自治が継続するだけではないですか       中央集権をやめ、地方主権を確立しなければ、地方が真に豊かになることはできません    ビジョンなき合併は、中央依存を強め、自治体の無駄遣いを助長するだけです


中央集権国家としての日本は衰退の運命にあります・・・・・・地方も中央にぶらさがったままの発想では生きていけません       地方が自ら富を生み出す仕組みを創る為には、国から外交防衛以外の権限を手に入れるべきです


経済不況は消費の拡大によってのみ解決します。企業の財務体質(不良債権)の問題は不況の「結果」であって「原因」ではありません。


官僚支配をやめさせ・政治決断で行うのが常識


大前研一通信、5月、「全国一律に」から決別するとき、大阪をピカピカに磨けば、日本は変わる!大前研一。
なぜいま「維新」なのか
,昨年末、大阪ダブル選挙で圧勝した橋本徹大阪市長率いる「大阪維新の会」に熱い視線が注がれている。

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橋本氏の唱える「大阪都」は、かつて東京府、東京市を統合し東京都としたように、大阪府、大阪市を廃止して、新しく大阪都を設置する構想そうだ。


実はこの構想は、私が1989年に上梓した「平成維新」(講談社)や1992年に立ち上げた「平成維新の会」の主張を下敷きにしたもので、彼が「大阪維新の会」を立ち上げた際にも、この名称を使うことを承知してほしい、という連絡があった。

なぜ今「維新」なのか。現在の日本を一度壊し、新たに作り直すことなくして、新しい経済や希望は生まれてこないからだ。「決別・・大前研一の新・国家戦略論」(朝日新聞出版)にも記した通り、この国は今過去から連綿と続く、三つの呪縛が重なった状態にある。


一つ目に決別すべきは、江戸時代から続く中央集権だ。江戸幕府は世界史上でも例をみないほど、よくできた組織運営機構を構築した。大名の家族を江戸で預かり、参勤交代をさせる。殖産興業を奨励しつつ、造船や架橋など軍事につながる行動は認めない。江戸時代が270年も続いた背景には、このような巧妙な仕掛けがあった。


しかし、いつの間にか社会の活力が失われ、イノベーション(革新)も生まれなくなった。そして日本は欧米列強に迫られて開国選択するが、今日にいたるまで江戸のシステムは生きている。典型が地方の首長で、彼らの多くは週一度ぐらいのペースで東京に来る。東京にも事務所を構えるほどで、まさに現代版の参勤交代といってよい。



二つ目に、決別すべきは、明治時代に行われた行政改革だ。前時代を否定する明治期最大の行革と言えば、明治4年の廃藩置県である。それ以前、各藩の藩主は絶対君主であり、それぞれの地方の自治権は徳川幕府ではなく、大名が握っていた。これを廃藩置県で取り上げ、土地から権力までを奪ったのである。極端に言えば、藩主は求職しないと生きてられない身になったわけで、それはクーデターが起きてもおかしくない断行だった。

その一方で、薩長土肥という維新の功労者たちが明治政府に入りこみ、役人による官僚体制をつくった。彼らは明治天皇をいただき、日清、日露の二つの戦争に勝利する。これによって明治天皇は、聡明でリーダーシップもある名君として、絶対君主として不動の地位を築くようになるが、実は、その背後で二つのことが起こっていた。


一つは、「軍事こそ国家生存のためには重要」という思想が行き渡ったこと。これが大東亜戦争に突っ込む背景となる。「戦争をやれば必ず勝つ」という軍部の慢心もあったわけだが、これは敗戦でオールクリアされる。もう一つは、天皇という絶対君主の代行役として、役人の言々が強化されたこと。天皇の名の下で、内務省などが絶対的な力を行使して臣民を統治する。


国が決めたルールに国民は従うべき、という統治機構が完成したのだ。


敗戦後、日本は民主主義国家になり、絶対君主制ではなく象徴天皇制になったが、この中央集権的な統治機構は温存された。あれだけ抜本的な買いアックを日本に押し付けたアメリカだが、さしものマッカーサーも、州の力の強い連邦制で育っているために、日本の中央主権がここまで組織的かつ絶対的な力を持っているとは気付かなかったのだろうしたがって、新憲法は統治機構のあり方についてほとんど言及していない。国民の権利や義務を30条にもわたって細かく記しながら、地方自治について触れているのはわずか4条である。


つまり、現在の日本憲法は、日本のことを何もわかっていない人たちが作った応急処置的なものなのだ。ならば、これをゼロクリアにして、新憲法をつくる。この国では「新憲法」と言いうと憲法九条ばかりが議論されるが、他にも不十分な点は枚挙に遑がない。


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目下の日本と世界の現状を見据えたうえで、あるべき統治、つまり国家運営機構を定めた新憲法を策定すべきなのだ。そもそも憲法はある程度の期間が経てば、書き直しはある程度の期間が経てば、書き直し何ら問題はない。「大前研一の新・国富論」(講談社)や「平成維新」において、かねて私はその必要性を説いてきた。そしてまさに今、その議論を行っているのが橋本氏なのだ。彼に議論を挑む識者たちは、「あなたは改憲派か、それとも護憲派か」という次元でしか発想していない。しかし橋本氏は、統治機構をゼロから作り直すことが重要でそれしか日本を救う方法はない、と主張する。まさにそれは正論だから、誰も橋本氏に勝利することができないのだ。


今や「日本全体が夕張状態」


三つ目に決別すべきは、まさにその戦後体制である。なかでも日本列島を説いた田中角栄元首相の「均衡ある国土の発展」という思考から脱しなければならない。1977年に策定された「三全総(第三次全国総合開発計画)」は、東京の繁栄を全国均等にお裾分けするという発想だった。しかし結局はバラマキ的な公共事業が景気のカンフル剤として使われ、地方から自立の精神を奪い、ハコモノ土建事業への過剰依存と経済の疲弊を招いたのである。さらに国家財政も逼迫した。


破綻したと言われる夕張市の借金をその住民一万五千人で割り、日本の人口である1億3000万人をかけると、実は日本の借金と夕張の借金は同じになる。日本国が印刷機を追っているから凌げているものの、早い話が今や「日本全体が夕張状態」なのだ。


つまり「全国一律」という発想は、経済活性化という観点からも、持続不可能なのである。しかし、いまだにその重要性が認識されているようには思えない。世間の期待を一身に集めた民主党が改革に踏み切れないのも、その変革の主語が「日本」だからである。子ども手当にしても、高校の無償化にいしても、今の日本で「ぜひそうしてほしい」と望む人はそれほど多くない。対象となる子供を持っていない人が大半だからだ。そこで「Aだ」いや「Bだ」という一つの答えだけでは前に進めなくなってしまう。民主党のみならず、小泉政権時の郵政改革なども同様である。


そこで参考にすべきは、中曽根政権時に行われた国鉄や電電公社の民営化だろう。電電公社の場合、まずは東西に分割し、そこからNTTコミュニケーションズやNTTコムウェア、NTTデータなどが誕生した。それぞれを自由に事業展開させて、上場して株を売れば国庫に納め、国民に還元してください、と言ったのだ。JRも基本的に分割して民営化の道を歩んでいる。かつての国労や動労の全国一斉ストライキなど、今の若い世代には想像もできない昔話だ。今の日本が必要としているのは、まさにこの発想である。現在の都道府県の枠組みをリセットして、十くらいの組織に括り直し、好き好きに競争させて自活の道を探してもらう。中央からの税金を交付してもらうのではなく、世界からの繁栄のための資金と人材を集めてくる「自由」を地方に与える。これこそが橋本氏のいう「大阪都」の背景にある哲学にほかならない。発表された「船中八策」の表紙に「リンゴを与えるのではなくリンゴのなる土を!」というのが、まさにそれを表している。


「指導」の余地を残したがる役人たち


大阪に「ヒト、モノ、カネ」を日本中から、あるいは世界から呼び込む。これが橋本氏の主張だ。そのためにこそ先に述べた三つの呪縛からの訣別が不可解になる。順番に見ていこう。

まずは「ヒト」について。橋本氏は「自分たちに人事を決めさせろ」という。たとえ公務員であっても、組織の能率的運営の維持・確保などを目的にした「分限免職」を認めよ、と述べるのだ。コンピュータ時代にあって、かつてのように人を必要としない仕事が増えており、これは時代に適った主張である。しかし自治労(全日本自治団体労働組合)を支持母体とする民主党にとって、その実現は不可能だろう。

一方で看護や介護のように、ニーズがあるにもかかわらず、人が不足している分野もある。そこで日本はフィリピン、インドネシアから人材を受け入れる体制をとったが、看護師や介護士として働くには、国家試験を受けなければならない。2010年度は両国合わせて250人が受験したが、合格者はわずか三人であった(2011年度は4百人中16人)。問題は看護師や介護士資格までも国が規定しているからで、これも「大阪に任せろ」と橋本氏は主張している。


教育にしても、大崎に必要な人材は大阪で育てる。すでに松井一郎大阪府知事(「大阪維新の会」幹事長)は大阪市立大学と大阪府立大学を統合し、最強の教育学部をつくり意向を明らかにしている。次に「モノ」について。なかでもとくに重要なのが、建物と土地である。都市設計の根本となる建築基準法にしても、今は全国一律の基準だが、台風が一年中くる地域もあれば、地震が起こりやすい地域もある。にもかかわらず、それらを一つの基準で規定すれば最大公約数にとなり、その地方から見ても無駄が発生する。ヨーロッパでは逆に村ごとに屋根の色や壁、植樹などに関しても細かく決めているので美しい街並みとなる。


日本は全国一律に決めている半面、そうした街並みなどに関する決まりがないため、どこに行っても雑然として決して美しいとは言えない。むしろ素材が限られていた江戸時代のほうが景観はよかった。そもそも地域ごとの基準が明確に決まってれば、コンピュータにCAD(コンピュータ利用設計システム)でつくった図面を入れれば適法かどうかは瞬時にわかる。実際にシンガポールはそのような仕組みを採用しているが、一方で日本の建築基準法は一律でかつ、コンピュータでは判断できない担当役人による裁量部分が多い。

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その結果、CADを使っても結果がわかるまで二ヶ月もかかってしまう。そうやって「指導」の余地を残すことで、役人たちは権限を保持しているのである。姉歯秀次の偽装設計が問題となれば日本全国が麻痺し、審査はさらに数ヶ月延びてしまう、という信じられない行政が21世紀にも続いている。建築基準法などは地方に任せてしまえば、馬鹿な基準を作ったところが直すだけで、全国が麻痺することもない。

土地の利用法を決めるのもすべて国であり、港湾地区は国土交通省、工業地帯は経済産業省などと縦割りになっている。そこで大阪は海外から企業を誘致すべく空地を活用しようとしても、「ここは工場用地だからモールはいけない」などという横槍が入るのだ。


あるいは港の一部に住宅を作り、アメリカやオーストラリアのように裏庭から船で遊びに行けるようにしたくても、工業化指定地域になっているところには手も足も出ない。日本で水際の一等地に住宅街ができないのは、それが原因だ。橋本氏の都市構想の一つに御堂筋の造り変えがあるために自由にできない。昔から御堂筋は大阪市長にとって悩みの種で、かつての西尾市長に大阪出身の芸術家の作品を飾ろうとした時も問題が起こった。


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まず当時の建設省が「国道にそんなものを置いてはいけない」と文句をつける。そこで西尾氏は毎週のように陳情に出向き、数年後にようやく許可を得た。ところが、今までなかった場所にモノが置かれたために、夜になるとぶつかる人が出てくる。

そこでライトアップしようと思ったところ、「国道に勝手に電気を引いてはいけない」とまたも指導が入る。結局、御堂筋沿いのビルに入居している会社に頼んでオフィスから斜めにサーチライトを当ててもらう、という冗談のような解決策をとったのだ。

同じような問題で腹を立て、国政まで出たのが細川氏である。熊本県知事時代、彼はバスの停留所を30b動かそうとして、当時の建設省に拒否された。これを変えようと立ち上がり、そこから生まれたのが日本新党なのだ。その流れをくむ民主党は、橋下氏の主張を認めるべきだろう。土地の使い方は、基本的には大阪に任せる。建物も、大阪が作った基準でつくらせて、建蔽率や容積率も一任する。ただし安全面については、学者の意見などに基づいて十分な配慮をおこなう。同じようなことを大阪だけではなく、全国に認めていく。土地の使いかたを地方に委ねることが大きなエネルギーの解放につながり、日本の活性化につながるのだ。


最後に「カネ」については。要は財源の問題である。いま消費税の議論が揉めているのも、それを日本一律でやろうとするからだ。アメリカの場合、所得税と法人税は全国一律だが、消費税は州法で決める。州によってはゼロ%から10%まで差があるわけで、日本も消費税は地方に決めさせろ、というのが橋下氏の主張である。徴税権も地方に与え、必要なら国に上納する。現在のように国がまず徴収し、交付金として地方に配ると、どうしても中央の役人に権限が発生してしまう。


「ご都合主義議院内閣制」を排せ


橋下氏は首相公選制にも言及している。彼が言いたいのは、自分のような人間が首相になればよい、ということではない。七年間で七人も首相が出るような国ではまともな統治ができるのか、ということだ。光線にする場合には、アメリカや韓国のように所属政党をハッキリさせる方法と、今の自治体選挙のように無所属で人物を選ぶ、という方法がある。


首相公選で悩ましいのは国家元首にだれがなるかという議論である。公選制で決められたリーダーはいわば大統領のようなもので、大統領とはほとんど国では国家元首だ。日本の場合、国家元首とはだれなのかどこにも書いていない。首相公選制は天皇制を否定するもの、とみなす人も少なくない。事実、外務省は国家元首は天皇である、と諸外国に説明しているので中国などに日本の首相が行くと、閲兵式には温家宝首相が随行する。アフリカの小さな国の大統領が来ると胡錦濤国家主席が同行することになる。自民党の新憲法制定プロジェクトでは国家元首を天皇として憲法に盛り込むことを想定しているようだが、今のところ日本人の国家元首は誰か、という問いに対する見解は、天皇、首相、不明、がほぼ同じくらいの数字で三つに分かれている。


ならば従来どうおり最大政党が首相を出す議院内閣制でよい、という議論も根強いが、私に言わせれば、今の日本は議院内閣制ですらない。最大政党の党首が首相にならないケースは、細川連立内閣以来多数ある。ご都合が悪くなると社会党の村山氏まで担ぎ出す「ご都合主義議院内閣制」なのだ。


議院内閣制には良いところもあるが、日本ではその運用で細則が決まっていない。細川内閣が誕生した総選挙では自民党が第一党であったが、共産党を除く第二党から第五党までが連立を組んで政権に就いた。しかしその後、自民党と社会党が組む、という禁じ手まで含めて四つの異なる政党が首相を出している。有権者は何に基づいてどのように投票してよいのか、まったくわからない。

小泉氏が圧勝した郵政選挙の後、自民党は首相を四人出しているが、中には郵政改革に反対だった人も含まれていた。民主党政権を選んだら、選んでもいない、数の上では必要もない社民党と国民新党が政権に入り込んで、政策を攪乱した。もちろん、当初、民主党指導部に影も形もなかった野田氏が首相になるなど、誰一人予想していなかった。いまの議院内閣制をもう少し規律のあるものに変えるのか、首相を公選で選ぶのかを決めない限り、日本は浮草のように世界を彷徨(さまよう)ことになる。

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2012年5月18日 7:22:24


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ただし、私は「平成維新」で首相公選制には触れなかった。当時の日本は読売ジャイアンツの長嶋茂雄氏が出馬すれば絶対に当選してしまうような状況で、事実その後、東京都知事はタレントの青島幸雄氏、大阪府知事選ではお笑いタレントの横山ノック氏が勝利した。あまりかでもタレントが大統領に出馬することがあるが、おかしな候補省はマスコミがスクリーニングしてしまう。彼らの仕事はディベートなどを通じ、だれが大統領にふさわしくないかを知らしめることだが、逆に日本のマスコミは、そのようなお笑い候補に便乗してしまうのだ。


その意味で今も私は首相公選制には否定的である。代わりに提案したいのは、「第一党の党首しか首相にしない」という規定を作ることだ。その人が病気などになった時には、同じく最大政党から二人目を出す。しかし三人目を出さざるを得ない状況になれば、「スリーストライクアウト」で議会を解散して総選挙を行う。そうすれば比較的、直接選挙に近い形で国民は人物としての首相を選ぶことができる。


また天皇制については、個人的には現行憲法の象徴天皇制に賛成である。いまの憲法を素直に読めば、国家元首は首相以外にありえない。とはいえ先述のように外務省は海外に対し「日本の国家元首は天皇である」と明言しているし、国事行為を数多く行っている。しかしこれを一部の人が言うように国家元首と規定してしまえば、その途端に天皇は政治や外交マターに関与せざるとを得なくなるだろう。


二千年続いて皇統の凄いところは、その存在が明文化されなくとも続いてきた、ということだ。それを無理に規定するからおかしくなるわけで、たとえ、憲法に記載がなくとも日本人は天皇を「日本国民の統合の象徴」と考えるだろうし、皇室に対する敬愛の念を持ち続けるだろう。


参議院廃止論と反原発運動の問題点


もう一つ私と橋下氏で意見が違うのが、参議院の廃止についてである。私は「平成維新」で参議院を廃止して一院制にすべきと書いたが、橋下氏は参議院に代わるものとして、首長会議の設立を提案している。全国から知事たちが集まり、彼らが参議院の役割を果たすというものだが、おそらくそれは機能しないだろう。


各自治体の首長は、直接選挙で選ばれた大統領のような存在である。かられの日本に対する思いはバラバラで、知事が三人集まれば、意見は絶対に一致しない。四十七人集まれば、まず百家争鳴になる。


おそらくアフガニスタンオブ族会議であるロヤ・ジルガのように、集まるたびに亀裂が深まっていくか、儀礼化し、意思決定は困難となるだろう。これでは、せっかく衆議院で真面目に議論してきたものが霧散霧消してしまい、最終的には妥協の産物のような法案しか通らなくなる。

私は九十年代初頭平成維新の提言以来、参議院の代わりに国民による直接投票を提案している。衆議院が通した重要案件については、国民が投票で決める。つまり、国民が上院なのだ。プッシュフォンやスマートフォンなどを使えば、技術的にもさほど難しくない。投票所で行う直接投票と違って、費用も格段に安く済む。これこそ二十一世紀型の解決法と言えるだろう。


橋下氏の考えでもう一つ問題を感じるのは、反原発運動の先頭を切っていることだ。しかし株主総会まで乗り込んで株主権を行使するのは、一種の恫喝政治だろう。もっと冷静な視点で停止している原子炉の実情を調べ、再稼働できるものは積極的に稼働させないと、おそらく今年の夏は乗り切れない。この冬、関西電力の電力使用量は供給能力の九十四%にまで達した。これは新鋭の火力発電所が一つ停止すればブラックアウトするという、非常に危険なレベルである。


仮に計画停電などで乗り切れたとしても、そのような地域の経済は衰退するし、外から新しく企業が来ることもない。ただでさえ大阪は「人が住めない街」と言われている。実際のところ大阪の財界人ですら神戸や芦屋に住んでいるわけで、そこで関西電力との喧嘩が続くようなら、ますます企業は腰が引けてしまうに違いない。さらに付け加えれば、大阪府議会と市議会にいる「大阪維新のメンバーの能力が低すぎる。先日も市議会議員が市役所職員に低レベルな無理難題を要求し、それが市役所職員によってネットで暴露され、大騒ぎになった。橋下氏は市役所職員に謝って「教育をやり直します」と言ったそうだが、人間のレベルはそう簡単に上がるものではない。


小沢チルドレンならぬ「橋下ベイビーズ」をいくら増やしても、運動は盛り上がらないだろう。ましてや維新政治塾で促成栽培された議員たちが江戸に攻め込むことになれば、民主党の悪夢が何倍にもなって跳ね返ってくる。私は橋下市長のビジョンと能力を高く評価しているが、中央に喧嘩を売るだけのアドバイザー、取り巻き、所属議員たちの能力には疑問があり、「橋下の足下」が崩れないことを祈っている。


戦国武将的ファイターから国民的リーダーへ


とはいえ橋下氏が、日本に残された数少ない希望の星であることも間違いない。かつて私は「この国は二〇〇五年以降、改革ができなくなる」と指摘した。その時点で日本人の平均年齢が五〇歳に達するからだ。私が見てきた企業社会では、平均年齢が五十歳を過ぎてしまうとなかなか大きな変化を起こせなくなる。いま日本の地方に行くと高齢者ばかりで、自分自身が蘇ろうとする気力すらない町や村がたくさんある。実際のところ、そのような改革の動きもないまま二〇〇五年は過ぎ去り、私が想定していたよりはるかに悪い形でこの国全体が活力を失ってきた。


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そこで「平成維新」を大阪で実現させようという橋下氏が現れた。このタイミングが素晴らしいのは、民主党による政権奪取後ということだ。選挙で決まった自民党以外の最大勢力による初の政権に、日本人は期待をかけた。ところが予想外のひどさに国民は今、怒りに満ちている。次の選挙でまた自民党を選ぶしかないか、と思っていた矢先、橋下氏が登場した。「大阪維新の会」に対する圧倒的な期待は、もし今総選挙があれば、「カカシを立てても勝つ」というまでに高まっている。


私の知る限り、これは日本のまったく新しい側面だ。日本人は大きな変化を好まず。理屈っぽい首相を嫌う。橋下氏の主張は「統治機構を変革しろ」「公務員の分限免職を認めろ」などかなり理屈っぽいもので、従来ならば到底受け入れなかっただろう。しかしそれが支持されるのは、視聴率20%を誇った「行列のできる法律相談」の印象も手伝って「橋下氏の話はわかりやすい」というイメージがあるからではないか。その意味で、彼は類まれなるコミュニケーターでもある。


いま橋下氏は、大阪が行うとする改革を中央が邪魔するなら、兵を率いて江戸に進出し、中央を変えると言っている。それを防ぎたいなら、中央は大阪を「特区」として認め、「ヒト・モノ・カネ」の権限を大阪都に移譲すべきだ。「大阪都」が実現し、経済も繁栄する。日本一、生活保護を受ける人が多かったという話は過去のものとなり、そこから世界に飛び立つ優秀な人間が輩出する。世界から企業が続々と進出してくる。新しい企業も次々に生まれる。結果は経済と雇用で測れることができる。


そのような成功をおさめれば、「うちも特区にしてほしい」と考える地域が次々に出てくるだろう。そこから「中京都」「九州府」などが生まれれば、もう日本全体が変わる。東京は何もしないで、彼らの邪魔をしないことだけを考えればよい。そのためには橋下市長は江戸に兵を進める必要はない。大阪をピカピカに磨けば日本は変わるのだ。「橋下ベイビーズ」を率いて江戸に舞い込めば、民主党の二の舞で動きが取れなくなるだけだ。


次に段階では「大阪都」と言わず、もう少し近隣と合併してもよいだろう。例えばそこに京都も入る。京都には世界的な企業も、優秀な大学もある。歴史も文化もある。京都、大阪、奈良にまたがっていって、けいはんな学研都市「関西学術研究都市」もある。その場合は名前も「京都」あるいは「本京都」にすればよい。まさに「都」が西に戻ることになる。


さらに関西一帯をまとめて「関西都」もしくは「関西道」にすれば、GDP(国内総生産)は世界で十位以内に入っている。そうなれば確実に、世界中から企業がやってくるだろう。


私は1995年3月号の「文芸春秋」誌に「新・薩長連合結成宣言」という一文を寄せた。改革型の首長が地方から革命を起こすことで、国に形が変わる、と説いたのだ。いきなり中央に行けば、数の原理に一喜一憂することになる。橋下氏がどうしてもそうしたいなら、既存政党の吸収合併も考えなくてはいけない。まずはとにかく大阪をピカピカに磨くための(既存政党の同志も含めた)最強のアドバイザーグループを作り、中央から権限を奪取してくることを勧めたい。


今は中央官僚とも、既存政党とも、財界とも、あらゆるところを敵に回して戦っている(ようにみえる)。このような対立関係は面白いし(たぶん、今までの経緯から見たら)正しいのだろうけれども、可及的速やかに方向修正した方がよい。そういう対立構図の中では、自陣営のちょっとした綻びや失敗が大きな命取りとなることがあるからである。戦国武将的ファイターから国民的リーダーへ、がその際のキーワードになるだろう。


私はハシズム批判には与しない。橋下イズムは健全な国家ビジョンであり、まさに必要な方向性であり、手段でもある。それだけに国民が期待している今、皆が大阪の成功を祝福する形を作ることが、日本変革の近道である、この国にとって最後のチャンスなのである。

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2012年5月19日 6:34:40